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百貨店に買い物に行った時、

1階の特設会場に下駄のお店が出ているのを見つけました。

下駄は日本の昔の履き物で、着物や浴衣に合わせて使います。

今の日本では着物を着ることがほとんど無いので、

年に数回、お祭りの時に履くくらい。

 

・・・と思っていたら、

実は近ごろは下駄が人気だそうです。

特に夏は、洋服でもサンダル代わりに下駄をはく人が増えているのです。

そのほうが足の指を自由に動かせて健康的だし、

様々な模様の下駄が販売されているから選ぶのが楽しいのだとか。

私の娘も夏の浴衣用に買ってあげた下駄を毎日はいています。

確かにワンピースに下駄っていのはアジアチックで妙にオシャレ。

ただ、硬いビーチサンダルのような履き心地は、歩きにくくないのか?

 

日本人が下駄を履く習慣は、いまから50年ほど前まで残っていましたが、

私の母が子どものころは、すでにほとんどの人が靴をはいていました。

だから日本人とは言え、私にとって下駄なんて特別な、別世界の履き物なわけ。

 

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いやあ、時代はめぐるもんだね。

今は子どもたちに人気があるっていうんだから。

この売り場にも下駄を試着する子どもが大勢いました。

 

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こちらは大人の男性用の下駄。 ↑ ↑ ↑

紐のような部分は鼻緒(はなお)といいます。

下駄の木目と鼻緒の柄の選びかたでその人のセンスがうかがえます。

日本の夏は高温多湿だから、本当はこういった履き物の方がいいのでしょうが、

大人の場合、下駄で車の運転ができないから、ついつい普通のサンダルを選びます。

(じゃあ、逆に車を使わない都会の生活向きなのかも?)

 

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こちらは子供用の下駄。 ↑ ↑ ↑

大人用も子供用も、ほとんど手作業で作られています。

昔ながらの色合いの物もありますし、洋服にもあわせやすいピンクやグリーンの下駄もあります。

子供用の下駄はとてもかわいくて、一番小さいサイズなんて飾っておきたいくらいです。

 

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私の娘も、また一つ下駄を買いました。

彼女のチョイスは、これ。

メチャメチャ古典的ながらじゃん!!

私がお勧めしたのは、下駄も鼻緒もピンク色のサンダルっぽいものだったんだけど。

よく考えると、彼女にとってこの古典的な柄が逆に新鮮だったのかもしれない。

大人の先入観で子どもの純粋な美意識を踏みにじってはいけませんね。

 

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裏はこんなふう。

最近の下駄は、より歩きやすいように、滑りにくいようにゴムが貼り付けてあります。

娘いわく、下駄は慣れるととても歩きやすいのだそうです。

実際、足を一歩踏み出すたびに、足の指で地面をつかむような動きをするから、

足腰が強く健康になるとあって、幼稚園や小学校で下駄を履かせるところもあります。

下駄を履いた子どもの足は、自由で素朴な感じがして、かわいい。

 

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浜松市の中心部にある浜松市美術館で、

「オートバイのデザイン半世紀」という展示会が開かれています。

夫も私も3歳の息子もバイクが大好きなので、出かけてきました。

 

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moto 03.jpg実は今、浜松市内の博物館でも同時に、

「浜松のオートバイ産業の歴史」という展示が開催されています、

(入場料は両方観て大人1300円)。

そんなわけで、この機会に遠方からはるばるバイクの聖地・浜松を目指してやってきたような

バイク・ファンたちが大勢集まっていました。

 

「バイクの聖地」といいましたが、

確かに浜松は日本のオートバイの歴史を創ってきた場所です。

第二次世界大戦で空襲をうけ、焼け野原となった浜松市。

その復興を後押ししたのがバイク産業でした。

本田宗一郎が陸軍で使用されていた小型エンジンを改良し、

自転車に取り付けたのが浜松のオートバイ製造の始まり。

本田氏は浜松市内のバラック小屋に「本田技術研究所」という看板をかかげ、

エンジン付き自転車を製造販売したのです。(現在のHONDA)

 

その数年後、浜松には30社以上の小さなオートバイメーカーができました。

その中には、機織り機械を作っていたのをやめてバイクを作り始めたsuzuki、

楽器製造から新たな分野に進出したYAMAHAも含まれていました。

浜松市内を通る六間道路(ろっけんどうろ)は、適度に坂道やカーブがあり、

当時、多くのメーカーが試作品のテストコースとして使っていました。

今でこそ大きな工場は郊外へ移転しましたが、

浜松の街を歩けば、いろんなところに日本のバイクの歴史が残されているのです。

 

さて今回美術館では、主にバイクのデザインの変遷に注目しています。

数々のデザイン画やデッサンもありましたが、それらは写真撮影禁止だったので、

mikoが特に気に入ったバイクだけ写してきました。

 

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いかがでしょう。

私はバイクや車はとても美しいと思います。

ただ、今回の展示はちょっと物足りないというか、

「・・・ええッ!?これだけ!!!」 という感想。

たぶん、わざわざやってきた人も、そう思ったのでは?

だって、普通に公道を走っているバイクばっかりだもん。

 

浜松は、ものづくりの分野ではすごく頑張ってるんだけど、

文化的な面では、かなり遅れをとっている、と私は思うのです。

企業が頑張っている分、行政が手抜きしているのか?

浜松のものづくりを文化や芸術にまで昇華できたら、もっといい街になるんだけどね。

 

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夏はやっぱりビールですね。

日本には歴史ある日本酒や焼酎などのお酒もありますが、

もっとも親しまれているのはビールで、特に夏は需要が高まります。

我が家でも、買ったビールがすぐに無くなる。

そこで今日は、日本では一般的な「お酒のディスカウントショップ」へ買い出しに行きました。

 

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日本の大手ビールメーカーといえば、キリン、アサヒ、サッポロ、サントリー。

下の写真は、日本でかなり有名なアサヒの「スーパードライ」です。 ↓ ↓ ↓

パリのあちこちのスーパーで売られているのを見ましたから、

よく知られているかもしれません。 

日本では、主にサラリーマン層の男性が好む辛口ビールです。

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最近は、大手メーカーが作るビールだけでなく、

地方の特色をいかした「地ビール」も人気で、各地にたくさんあります。

これは、新潟の「エチゴビール」。  ↓ ↓ ↓

私も初めて見ました。

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こんなのも見つけました。 ↓ ↓  ↓

北海道の有名なチョコレートメーカーと、

同じく北海道で創立したサッポロがコラボレーションした、 チョコレート味のビール。

ちなみにこの「ロイズ」というチョコレートメーカーは、

北海道の名産ジャガイモを利用して、

チョコレートでコーティングしたポテトチップスも作っています。

なかなか美味なので、ぜひお試しあれ。

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次の写真は、缶ビールの大きさに注目。 ↓ ↓ ↓

なんと135ミリリットルの極小サイズ。

こんなの海外にはないでしょうね、いかにも日本的だと思います。

一口だけ飲みたい女性や、景品や試供品として使うこともあります。

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日本では、夏にお世話になった人にプレゼントを贈る「お中元」という習慣があります。

ビールは「お中元」の品物として一般的で、メーカー各社が広告を出しています。

広告に起用されるのは、今日本で注目を浴びている俳優やスポーツ選手。

彼女はサントリーの宣伝をする竹内結子という女優。 ↓ ↓ ↓

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こちらはキリンの宣伝をする、アメリカの大リーグで活躍中の野球選手イチロー。↓ ↓ ↓

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さて、今回私が買って帰ったビール。

まずは竹内結子プレゼンのサントリー・プレミアムを開けてみましょう。

これは最近発売されたのですが、とてもおいしいと評判です。

誰が飲んでも、まあ、美味しいと感じられるような、まとまった味でした。

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次に、キリンの一番搾り。

きりっとした中にも味わいがあって、私の一番のお気に入りです。

日本ではかなり一般的なビールで、

キリンといえばたいていこのビールが出てきます。 ↓ ↓ ↓

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最後に、エビス ビールというブランドから期間限定で出た「琥珀エビス」。

これはベルギーで飲んだ地ビールのような味です。 ↓ ↓ ↓

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ところで、日本に旅行に来てレストランでビールを注文するとき、

知っておくと便利な言葉を一つ紹介しましょう。

日本では熱処理をしていないビールのことを「生ビール」とか、 略して「なま」と言います。

瓶ビールではなく、 樽から直接ジョッキやグラスに注いでもらいたいなら、

「生ビールください。」と言ってみてくださいね。

 

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私のふるさとが広島市であることは、このブログの読者ならすでにご存知でしょう。

広島は歴史上初めて核爆弾が投下された地として、世界でも有名な都市です。

原子爆弾が落ちたのは、65年前の8月6日。

 

私の母が結婚して神戸から広島に来たのが41年前で、

その時、賑やかで華やかな神戸に比べると、広島の町は殺伐としていると感じたそうです。

町のあちこちにバラックのような掘っ立て小屋が並び、

家をなくし家族を亡くし、行き場を失くした人たちが、まだたくさんいるのだと知って、

とても悲しい気持ちになったそうです。

 

私が子供時代を過ごした30年前も、今の広島にも、

原爆の爪痕はそんなにたくさん残されていません。

それどころか、被爆者が高齢化して、戦争を知らない世代が増え、

原爆の事を後世に伝えていくのが難しくなっています。

私も広島出身だからといって、普段は原爆のことなんて忘れているのですが、

夏に広島に帰ってくると、やはり少しでも多くの人に現実を知らせる必要があると感じました。

 

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これは、私の実家から車で5分くらいのところにある小学校です。

爆心地から9キロほど離れているこの小学校の校舎に、

原爆が落ちた後、大勢の被爆者が運び込まれました。

全身が焼けただれ、裸で、ほとんど死んでいるような大人や子供が、

まるで幽霊のように、みんな手を前に突き出してぞろぞろと歩いてくる光景を、

近所の人たちが覚えています。

彼らのほとんどが手の施しようがなく、命を落としました。

そして次々に死んでいく人を校庭で燃やしたのです。

この小学校だけでなく、各地で同じようなことが行われました。

爆心地の近くの川は、全身火傷で喉が乾き、

水を求めて来た人の死体でびっしり埋まっていたといいます。

 

私の友人のお祖父さんは、原爆が落ちた時、息子と屋根の修理をしていました。

放射能を浴びて、一瞬で体の皮が溶け、

しゃがんだ姿勢のままでふくらはぎと太ももがくっついて離れなくなりました。

手元にあった針金で溶けた足を切り剥がし、

同じような状態になっている息子にもそうして、地上に降りたそうです。

 

また別の知り合いの年配の女性の話もしましょう。

原爆が落ちた時、彼女は16歳でした。

爆発とともに室内のガラスが飛び散り、その破片が顔中に突き刺さりました。

親が必死で医者を探し、一つひとつガラスの破片を抜いてもらい、

化膿しないように薬を塗って、顔一面にガーゼを貼ってもらったのですが、

そのガーゼを毎日剥がすのが拷問のようでした。

数年たっても、顔の傷のために被爆者だということが一目瞭然で、

広島市内に暮らしていても、

みんなから「いじめ」を受け、暗い青春時代を過ごしたそうです。

 

彼女の話はとても象徴的だと思います。

原爆がいかに残酷なのか、むごい話は数えきれないほどたくさんありますが、

それだけを伝えるのでは足りないと思うのです。

原爆の後の差別や、偏見。そして無知。

海外では、原爆が落ちたから戦争が終わってよかったと考える人もいますが、

私はそれは「人間のおごり」だと思うのです。

 

戦争の悲しい出来事は、広島だけではありません。

世界中で、今も、悲惨な出来事は起きています。

ある被爆者が語った言葉が忘れられません。

「戦争はいったん始まってしまったら、止められないんよ。

だから、ぜったいに起こしてはいけないんよ。」

戦争を知らない私たちの世代は、

過去の事実を積極的に知ろうとし、

どんな状況においても平和な世界を目指さなければいけないのです。

 

 

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夏休みに広島の実家に戻ってきました。

夫は1週間ほどの休みしか取れないので、まず子供と私が新幹線で広島に来て長期滞在。

途中から夫が車で広島に来て、最後に一緒に車で帰るという方法。

これは、日本の家庭ではよくある帰省のしかたです。

 

さて、広島に着いた翌朝、懐かしい音で目が覚めました。

私の実家の前は公園で、その公園から子どもたちの声とラジオの音が聞こえてくるのです。

 

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日本では夏休みの朝6時半から20分ほど、

近所の公園や広場に住人が集まり、ラジオ体操が行われます。

誰かが持ってきたラジカセをNHKにあわせると、

毎朝生放送されているラジオ体操のピアノ伴奏が流れ、

それにあわせてみんなで体操するのです。

ラジオ体操は小学校で習うため、ほとんどの日本人が体操の振りを知っています。

定番のピアノ伴奏が流れると、自然と体が動くのです。

 

ラジオ体操の起源は、いまから80年前に考えられた国民健康体操。

当時は国民の体力をつけたり、意識を統一したりと、

軍事訓練のような意味合いも含まれていました。

時は流れ、平和な世の中になっても、日本人はラジオ体操が好きなのでしょう。

こうして夏休みに子どもたちが体操したり、

工場などでは安全と事故防止のため、毎日の朝礼でラジオ体操をするところもあります。

 

夏休みのラジオ体操は好きな人だけ集まります。

ただ、小学校では参加するように決められているため、

ほとんどの小学生が来ています。 

そして、早起きなおじいさんおばあさんも。

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私も小学生のころ、夏休みの朝は毎日ラジオ体操に行きました。

朝はまだ暑くないし、近所の友達にも会えるから、なんだか嬉しいのです。

私の子どもの頃はベビーブームで、この公園にも大勢の小学生が来ました。

でも今の日本は子どもが少なく、特にこの住宅地は老人世帯が多くなったので、

少しさみしいラジオ体操。

しかも、ラジオ体操に毎日参加するという「しばり」が「うざい」ようで、

最近は全国的に夏休みの間の1,2週間だけ行われているようです。

 

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上の写真の赤いベンチのところにラジカセが置いてあります。

毎日、体操が終わると子どもたちはカードにハンコを押してもらえます。

そのハンコを押す子どもも赤いベンチのところにいます。

子どもたちはラジオ体操の曲が終わりに近づくと、誰よりも早くハンコを押してもらおうと、

少しずつベンチのところににじり寄っていきます。

実は私が小学生の頃、30年前もこの同じ場所で、同じことを競っていました。

なぜ!?

そんな些細なことが継承されていたの!???

 

子どもって不思議。

 

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スタンプ台は日本の企業がスポンサーになって夏休み前に子どもたちに配ります。

この桜マークのハンコはッ!!!

30年前と同じじゃん。 ここは時が止まっているのか?

 

そして次の日、朝6時半に起きられなくってラジオ体操に行けないのも、

30年前の私と同じじゃん。

 

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娘が通う幼稚園の夏祭りに行きました。

女の子も男の子も、みんな可愛らしい浴衣で来ていたので、いい写真が撮れました。

今回は日本の浴衣について書いてみようと思います。

 

浴衣は平安時代(およそ1000年前)、

数人で水浴びをする際、裸を隠すための衣装「ゆかたびら」が起源の服装です。

水に強く、乾きやすい麻や綿の布で作られていたため、

その後の時代になっても湯上りに着たり、寝巻きとして使われ続けました。

ですから、浴衣は現代でも正装ではありません。

また、湯上りのさっぱりした身体に羽織るのが美しく、

汗臭かったり(?)、お化粧が濃すぎるのはノットグッド。

あくまでも清潔感があって、さっぱりと着るのが粋なのです。

 

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現代の日本では浴衣を着る機会は夏の盆踊りのお祭りくらい。

今回の幼稚園の夏祭りでも、子どもたちはここぞとばかりに色とりどりの浴衣で参上。

先生たちも、みんな浴衣を着てきました。

 

yukata03.jpg普段はTシャツにジーンズで走り回っている女の子も、

こうして浴衣を着ると、1000年前に戻ったような雰囲気をかもし出します。

やはり日本人は着物や浴衣のような伝統的な服装が似合うのですね。

 

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男の子たちはというと、こんな感じ。 ↑ ↑ ↑

昔は男の子も女の子と同じデザインの浴衣を着ていましたが、

近ごろはより動きやすい「甚平」という着物が人気です。

甚平は上下が別になっていて、下は半ズボンになっています。

もともとは男性の作業着として使われていた和装でした。

 

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幼稚園で習った盆踊りを踊る子どもたち。 ↑ ↑ ↑

大人の浴衣も子どもの浴衣も、夏には目に涼しくていいものです。

浴衣を着ている人が街を歩いていると、

それだけで街中がうきうきした感じになるし、夏だな~~と思えます。

そんなことから、夏にはテーマパークやレストランで、

「浴衣を着て来たら入場料無料。」とか、

「浴衣の人には生ビール無料。」といったサービスを設けて、

浴衣の人を呼び込むところが増えています。

 

着ている人も見ている人も夏気分が味わえる浴衣。

もし、夏に日本にくる予定があれば、ぜひ海外の皆さんもいかがですか?

 

yukata07.jpg イヌにまで浴衣を着せるって、これどう?

 

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焼き肉屋さん

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家族で焼き肉を食べに行きました。

焼き肉はもともと韓国の料理ですが、

第二次世界大戦の後、日本に伝わり、日本で独自に進化しています。

私が韓国に旅行した時、本場の焼き肉を食べて、

味も肉の種類も、レストランの雰囲気も、ずいぶん違うなと思いました。

だから、今日ここで紹介するのは、あくまでも日本風の焼き肉・・・ということで。

 

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焼き肉屋さんの店内です。 ↑↑↑

テーブルがいくつかにわかれていて、イスはありません。

(カラフルな色遣いの座布団は、韓国風です。)

私たちのほかに全くお客さんがいませんが、それは私たちが夕方5時に行ったから!

お肉屋さんが経営しているこの店は、

素材の肉がとてもおいしいと評判で、この後すぐに満席になりました。

 

日本では明治時代まで、一般的にウシやブタなどの肉を食べる習慣がありませんでした。

山間に住む人はイノシシやシカの肉を食べていましたが、

普通は米と野菜と魚中心の食生活が長く続いたのです。

明治時代に東京で肉を食べる料理店が流行し始めても、

多くの人々は、動物を食べるなんて!!と眉をひそめていました。

それでもじわじわと人気が広まった肉料理というのが、「スキヤキ」なのです。

 

100年以上の時をかけて、現在は肉食がすっかり一般的。

でも、日本人の腸は欧米人に比べて細くて長く、肉の消化には向いていません。

肉を食べすぎると、肥満や成人病などの病が増え、ちょっと問題になっています。

 

さて、そんな困った話を知っていながら、やっぱり時々焼き肉が食べたくなる!!

特に食べざかりの若い人は焼き肉屋さんが大好きで、

男の子に、どこで外食したい?と聞くと、たいてい「焼き肉くいてえ。」と言うのです。

 

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日本の焼き肉店に行くと、テーブルにこのような↑↑穴があいていて、網が張ってあります。

これこそ、日本の企業が開発した無縁ロースター。

焼き肉は美味しいけれど、店内で肉を焼くから煙モクモク。

油が混じった煙りは店内を汚し、髪や洋服にも匂いがついて離れません。

それを嫌がるから、以前は女の人は行きたがらなかったのです。

無煙ロースターは下の穴から煙りを吸い込むため、上にほとんど煙りが立ち上りません。

匂いもほとんどきになりません。

この発明をきっかけに、焼き肉店は清潔でおしゃれな感じに変身することも可能になり、

カップル向けや、ファミリー向けの焼き肉店もたくさん増えたのです。

 

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さ~て、お肉を焼きます。これは、焼き肉で一番有名な「カルビ」とよばれる牛肉。

赤みの上に脂がバランスよくひろがり、焼くとやわらかくて、とろけるようです。

いいお肉ですから一皿1800円くらいと、結構高い。

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むこうのお皿にのっているのは、タンといってウシの舌です。

ほら、網の上で焼いているけど、煙りは全く出ていないでしょ?

2枚目の写真を見るとわかるけど、天井に換気扇もないのよ。

 

yakiniku 6.JPG牛肉なので、色が変わるともうオッケー。

自家製のタレにつけて食べます。

鉄のお箸を使っていますが、こういうところはあえて韓国っぽさを残しています!

 

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続いて出てきたお肉は、ホルモンやガリといわれる、いわゆる内臓系です。

こちらも歯ごたえや味がそれぞれ違って、美味しいです。

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焼くとこんな感じ。 ↑↑↑  噛むとがりがりっとして美味しい。

新鮮な肉だし、店のオリジナルのタレにつけてあるので、生臭いワイルドな味はしません。

 

さて、これはひとそれぞれですが、

私は焼き肉を食べに行くと、最後にご飯系やヌードル系を注文します。

今回はブログ用にいろいろ注文してみました。

ここからはすべて韓国料理です。

(でも、韓国の人が見ると、違う!というかもしれない。)

まずは、ビビンパ。 白いご飯の上にお惣菜やキムチがのっていて、

自分で混ぜて食べます。たいていスープがついてきます。

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つづいて、冷麺。 ↓↓↓

日本にも冷麺がありますが、かなり日本風にアレンジされているので、少し違います。

yakiniku 10.JPG最後に、トックという雑炊のような料理。

テールスープがベースになっていて、とてもおいしかったです!!

yakiniku11.JPG焼き肉にしても、なべ料理にしても、

食卓で一つの鍋を囲んで食べると温かい気持ちになり、いっそう絆が深まります。

皆さんの国にも、こんな料理がありますか?

 

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七夕

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tanabata 1.jpg7月7日は七夕でした。

七夕は、いまから1000年以上前に中国から伝わったお祭りです。

中国や韓国でもこの時季、七夕祭りが行われますが、

その国の文化が混ざり合って、それぞれ違ったかたちで発展していると思います。

だから、今日ご紹介するのは日本の一般的な七夕まつり。

 

七夕が近づくと、最初の写真のように店や公共の施設に大きな笹の枝が用意され、

そこに自分の願い事を書いた短冊をつるすことができます。

七夕はもともと中国で針仕事の上達を願った女性たちのお祭りだったこともあり、

いまでもこうして笹の枝に願い事を吊るすと、それが叶うといわれているのです。

 

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図書館に本を返しに行った時、

テーブルに用意されていた短冊に、さっそく願い事を書く娘。

「ぜったい、ぜったいケーキ屋さんになれますように。」と書いていました。

 

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他の短冊を見ると、いろんな願い事がありました。

これは、「サッカーがうまくなれますようにしてください。」 ↑ ↑ ↑

(ワールドカップで日本代表が頑張ったからかな?)

他にも、「モデルになれますように。」とか「びょういんのひとになれますように。」

と書かれた短冊もありました。

 

家でも七夕の飾りができるように、

余分に取ってきた笹を持って帰っていいみたい。 ↓ ↓ ↓

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短冊にする紙や笹に吊るす飾りは、普通折り紙で作ります。

だからこの時季になると折り紙が特によく売れます。

日本の子どもの遊びの定番「おりがみ」は、

また別の機会にこのブログで紹介したいと思っています。

 

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さて、七夕は笹に願い事を吊るす以外に、もうひとつの言い伝えがあります。

これも昔中国から伝わったものです。簡単に説明しておきましょう。

夜空に浮かぶ織姫星(ベガ Vega)は、機織りの上手な働き者の娘でした。

夏彦星(アルタイル Altair)も働き者の牛飼いでした。

二人は天の神様に認められて結婚したのですが、

結婚生活が楽しすぎて、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛の面倒をみなくなったのです。

これを天の神が知って怒り、二人を天の川を隔てて引き離しました。

ただ年に一度7月7日だけ、天の川に橋が架かって会うことを許されました。

その日雨が降ると星も天の川も見えなくなります。

地上の人々は「二人が会えなくなる」と心配し、七夕の日は晴れますようにと願うのです。

 

今年の7月7日の夜空は、どっぷり曇ってたな。

二人はまた1年会えないのか。

・・・・・。

気の遠くなるような遠距離恋愛ですが、

何千年も前から続く夫婦愛だから、1年くらいなんのその?

 

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先日、テレビを見ていたら、

日本で暮らす外国人が日本の良い所を紹介するという番組を放送していました。

日本人には当たり前のことも、外国人の目から見ると優れていることもあります。

そのときに取り上げられていた「良い所」のなかに、児童館がありました。

 

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児童館とは、日本各地にある公共の子どもの遊び場で、

たいていは小学校や公民館の敷地内にあります。

基本的には誰が出入りしても自由。

9時から5時くらいまで広い部屋が解放されていて、

そこに常駐のスタッフ(保育士やカウンセラーの免許を持った人)が数人います。

広い部屋にはたくさんのオモチャや遊具があるので、

子供を連れて行くと2時間くらいは夢中で遊ぶのです。

 

私が見たテレビ番組のなかで、外国人の母親は、

「私の国にはそんな場所が無くて、子どもを遊ばせることが難しい。

母親同士の交流にもなるし、とてもいいシステムだ。」と言っていました。

 

jidoukan4.jpgところで日本はいま、梅雨というレイニーシーズンを迎えています。

毎日、雨や曇りの日が続き、うっとうしいのです。

もちろん、この時季にたくさんの雨が降らないと、

真夏に水不足になるのですが、やっぱり気分は滅入ります。

特に小さい子供のいる母親は、公園にも連れて行けないし、散歩もできないし、

本当に困ってしまうのです。

そんな時は私も近所の児童館へ行きます。

正直言って、子どもと公園に行くのも案外疲れるもの。

こういう児童館なら冷暖房完備で、交通事故や大きなケガの心配も要らない。

出入り自由だし、お金も要らないし、そして完璧に掃除が行き届いている。

 

児童館の先生お手製の「さかなつり」に興じる我が子。 ↓ ↓ ↓

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クッションの上で飛び跳ねる我が子。 ↓ ↓ ↓

日本ではこんな時も靴を脱いで部屋に上がるから、汚くなくていい。 

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忘れていけないのは、親同士のコミュニケーションがもてるということ。

同じくらいの子どもを持つ親同士が集まるので、情報交換ができます。

もちろん、ただしゃべるだけで気分転換ができて、

育児ノイローゼから逃れることもできるかもしれない。

また、児童館に常駐するスタッフにちょっとした相談や悩みを打ち明けることもできます。

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みんな楽しそうに遊んでいますな。 ↓ ↓ ↓

この日は、午前中に行ったけど、30組くらいの親子がきていました。

午後もあわせると毎日80組くらいの親子が来るそうです。

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児童館によって様々ですが、私の家の近くの児童館では、

毎日午前11時から30分間くらい、スタッフが絵本の読み聞かせと、

リトミックのようなことをしてくれます。

時には図書館ボランティアの人が絵本を紹介してくれたり、

ピアノやフルートの演奏家がミニコンサートを開いてくれることもあります。

小さな子供を連れていると、親は毎日小さなストレスとの戦いです。

そんな時、気軽に行ける場所があるというのは、本当に助かるものです。

みなさんは、この児童館というシステム、どう思いますか?

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200年前の家

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前回、博物館での昭和体験をご紹介しましたが、

今日は、それよりもさらに古い時代、200年前にタイムトリップして、

博物館の敷地内に移築されている古い家を見てみましょう。

日本では、100年以上前の古い家を「古民家」と呼び、大切にしています。

 

上の写真の古民家は、浜名湖の近くで漁業と農業を営んでいた

高山家の住宅として使われたもので、1850年以前の建築物です。

浜名湖の周辺といえば、例えばこんな感じ↓ ↓ ↓

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家は現代風に変わっていますし、数も増えていますが、

だいたいこんな場所に建っていたんだとおもわれます。

 

高山家は、江戸時代のごく平凡な民家スタイルなので、当時の暮らしぶりがわかります。

まず、玄関から入ったところ。 ↓ ↓ ↓

昔の家はひんやりとして、暗いですな。

 

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入り口から広い土間が続いていて、その土間に台所があります。

上の写真は「かまど」。土で持ったオーブンの中で火を焚き、ご飯を作るのです。

日本では昔から家の中は裸足で過しますが、土間では下駄を履きます。

だから昔の女の人は、ご飯を作る時は下駄を履き、

出来上がった食事を運ぶ時は下駄を脱いで部屋に上がっていたわけ。

 

ちなみに「かまど」の熱源は、もちろん焚き木。

この「かまど」の横に出入り口があって、裏に回るとこんな感じで焚き木を積んでいます。

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さて、

もう一度、家の中に戻りましょう。

今度は土間の反対側に広がる「座敷」です。

人がご飯を食べたり、寝たりする空間ですが、

日本建築では、それぞれの部屋を壁で区切らず、 障子や襖で仕切ります。

ですから扉をすべて開け放てば、大広間としても使えます。

写真には、縄に白い紙がぶら下げてありますが、

あれは神様を祀るもので、あの場所に神棚があったのかもしれません。

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当然ですけど、家はすべて木と竹とワラと紙だけで造られています。

自然の建材だけで家は建つんだ~と、改めて驚いてしまいました。

自然の物を利用してここまでのものを作った昔の人は、えらい。

 

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こちらは、正面の庭のあるほうです。写っているのは柿の木。

日本家屋には、庭と部屋のあいだに縁側があります。

(この家には縁側が残されていません。)

縁側は細長いウッドデッキのようなもので、

家の内と外をむすぶ空間として日本人に愛されてきました。

縁側でお茶を飲んだり、近所の人がやってきて縁側に腰掛けておしゃべりしたり、

野良猫が縁側の陽だまりで寝転んでいたり。

 

人がすまなくなった家は古びて暗い感じがしますから、

私の子供たちは、はじめ真っ暗なこの家に入るのが恐いと言いました。

わかる気がする。

もしこの家に今も人が住み続けていたら、もっと生き生きと明るい感じでしょう。

そういえば、この高山家では、ときどき絵本の朗読会が開かれているそうです。

昔の家で、子どもたちに昔話を聞かせてくれるんだって。

こんど行ってみようかな。

 

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