2010年8月アーカイブ

日本の履き物、下駄

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百貨店に買い物に行った時、

1階の特設会場に下駄のお店が出ているのを見つけました。

下駄は日本の昔の履き物で、着物や浴衣に合わせて使います。

今の日本では着物を着ることがほとんど無いので、

年に数回、お祭りの時に履くくらい。

 

・・・と思っていたら、

実は近ごろは下駄が人気だそうです。

特に夏は、洋服でもサンダル代わりに下駄をはく人が増えているのです。

そのほうが足の指を自由に動かせて健康的だし、

様々な模様の下駄が販売されているから選ぶのが楽しいのだとか。

私の娘も夏の浴衣用に買ってあげた下駄を毎日はいています。

確かにワンピースに下駄っていのはアジアチックで妙にオシャレ。

ただ、硬いビーチサンダルのような履き心地は、歩きにくくないのか?

 

日本人が下駄を履く習慣は、いまから50年ほど前まで残っていましたが、

私の母が子どものころは、すでにほとんどの人が靴をはいていました。

だから日本人とは言え、私にとって下駄なんて特別な、別世界の履き物なわけ。

 

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いやあ、時代はめぐるもんだね。

今は子どもたちに人気があるっていうんだから。

この売り場にも下駄を試着する子どもが大勢いました。

 

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こちらは大人の男性用の下駄。 ↑ ↑ ↑

紐のような部分は鼻緒(はなお)といいます。

下駄の木目と鼻緒の柄の選びかたでその人のセンスがうかがえます。

日本の夏は高温多湿だから、本当はこういった履き物の方がいいのでしょうが、

大人の場合、下駄で車の運転ができないから、ついつい普通のサンダルを選びます。

(じゃあ、逆に車を使わない都会の生活向きなのかも?)

 

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こちらは子供用の下駄。 ↑ ↑ ↑

大人用も子供用も、ほとんど手作業で作られています。

昔ながらの色合いの物もありますし、洋服にもあわせやすいピンクやグリーンの下駄もあります。

子供用の下駄はとてもかわいくて、一番小さいサイズなんて飾っておきたいくらいです。

 

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私の娘も、また一つ下駄を買いました。

彼女のチョイスは、これ。

メチャメチャ古典的ながらじゃん!!

私がお勧めしたのは、下駄も鼻緒もピンク色のサンダルっぽいものだったんだけど。

よく考えると、彼女にとってこの古典的な柄が逆に新鮮だったのかもしれない。

大人の先入観で子どもの純粋な美意識を踏みにじってはいけませんね。

 

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裏はこんなふう。

最近の下駄は、より歩きやすいように、滑りにくいようにゴムが貼り付けてあります。

娘いわく、下駄は慣れるととても歩きやすいのだそうです。

実際、足を一歩踏み出すたびに、足の指で地面をつかむような動きをするから、

足腰が強く健康になるとあって、幼稚園や小学校で下駄を履かせるところもあります。

下駄を履いた子どもの足は、自由で素朴な感じがして、かわいい。

 

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美術館にオートバイ

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浜松市の中心部にある浜松市美術館で、

「オートバイのデザイン半世紀」という展示会が開かれています。

夫も私も3歳の息子もバイクが大好きなので、出かけてきました。

 

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moto 03.jpg実は今、浜松市内の博物館でも同時に、

「浜松のオートバイ産業の歴史」という展示が開催されています、

(入場料は両方観て大人1300円)。

そんなわけで、この機会に遠方からはるばるバイクの聖地・浜松を目指してやってきたような

バイク・ファンたちが大勢集まっていました。

 

「バイクの聖地」といいましたが、

確かに浜松は日本のオートバイの歴史を創ってきた場所です。

第二次世界大戦で空襲をうけ、焼け野原となった浜松市。

その復興を後押ししたのがバイク産業でした。

本田宗一郎が陸軍で使用されていた小型エンジンを改良し、

自転車に取り付けたのが浜松のオートバイ製造の始まり。

本田氏は浜松市内のバラック小屋に「本田技術研究所」という看板をかかげ、

エンジン付き自転車を製造販売したのです。(現在のHONDA)

 

その数年後、浜松には30社以上の小さなオートバイメーカーができました。

その中には、機織り機械を作っていたのをやめてバイクを作り始めたsuzuki、

楽器製造から新たな分野に進出したYAMAHAも含まれていました。

浜松市内を通る六間道路(ろっけんどうろ)は、適度に坂道やカーブがあり、

当時、多くのメーカーが試作品のテストコースとして使っていました。

今でこそ大きな工場は郊外へ移転しましたが、

浜松の街を歩けば、いろんなところに日本のバイクの歴史が残されているのです。

 

さて今回美術館では、主にバイクのデザインの変遷に注目しています。

数々のデザイン画やデッサンもありましたが、それらは写真撮影禁止だったので、

mikoが特に気に入ったバイクだけ写してきました。

 

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いかがでしょう。

私はバイクや車はとても美しいと思います。

ただ、今回の展示はちょっと物足りないというか、

「・・・ええッ!?これだけ!!!」 という感想。

たぶん、わざわざやってきた人も、そう思ったのでは?

だって、普通に公道を走っているバイクばっかりだもん。

 

浜松は、ものづくりの分野ではすごく頑張ってるんだけど、

文化的な面では、かなり遅れをとっている、と私は思うのです。

企業が頑張っている分、行政が手抜きしているのか?

浜松のものづくりを文化や芸術にまで昇華できたら、もっといい街になるんだけどね。

 

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ビールが美味い!

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夏はやっぱりビールですね。

日本には歴史ある日本酒や焼酎などのお酒もありますが、

もっとも親しまれているのはビールで、特に夏は需要が高まります。

我が家でも、買ったビールがすぐに無くなる。

そこで今日は、日本では一般的な「お酒のディスカウントショップ」へ買い出しに行きました。

 

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日本の大手ビールメーカーといえば、キリン、アサヒ、サッポロ、サントリー。

下の写真は、日本でかなり有名なアサヒの「スーパードライ」です。 ↓ ↓ ↓

パリのあちこちのスーパーで売られているのを見ましたから、

よく知られているかもしれません。 

日本では、主にサラリーマン層の男性が好む辛口ビールです。

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最近は、大手メーカーが作るビールだけでなく、

地方の特色をいかした「地ビール」も人気で、各地にたくさんあります。

これは、新潟の「エチゴビール」。  ↓ ↓ ↓

私も初めて見ました。

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こんなのも見つけました。 ↓ ↓  ↓

北海道の有名なチョコレートメーカーと、

同じく北海道で創立したサッポロがコラボレーションした、 チョコレート味のビール。

ちなみにこの「ロイズ」というチョコレートメーカーは、

北海道の名産ジャガイモを利用して、

チョコレートでコーティングしたポテトチップスも作っています。

なかなか美味なので、ぜひお試しあれ。

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次の写真は、缶ビールの大きさに注目。 ↓ ↓ ↓

なんと135ミリリットルの極小サイズ。

こんなの海外にはないでしょうね、いかにも日本的だと思います。

一口だけ飲みたい女性や、景品や試供品として使うこともあります。

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日本では、夏にお世話になった人にプレゼントを贈る「お中元」という習慣があります。

ビールは「お中元」の品物として一般的で、メーカー各社が広告を出しています。

広告に起用されるのは、今日本で注目を浴びている俳優やスポーツ選手。

彼女はサントリーの宣伝をする竹内結子という女優。 ↓ ↓ ↓

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こちらはキリンの宣伝をする、アメリカの大リーグで活躍中の野球選手イチロー。↓ ↓ ↓

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さて、今回私が買って帰ったビール。

まずは竹内結子プレゼンのサントリー・プレミアムを開けてみましょう。

これは最近発売されたのですが、とてもおいしいと評判です。

誰が飲んでも、まあ、美味しいと感じられるような、まとまった味でした。

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次に、キリンの一番搾り。

きりっとした中にも味わいがあって、私の一番のお気に入りです。

日本ではかなり一般的なビールで、

キリンといえばたいていこのビールが出てきます。 ↓ ↓ ↓

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最後に、エビス ビールというブランドから期間限定で出た「琥珀エビス」。

これはベルギーで飲んだ地ビールのような味です。 ↓ ↓ ↓

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ところで、日本に旅行に来てレストランでビールを注文するとき、

知っておくと便利な言葉を一つ紹介しましょう。

日本では熱処理をしていないビールのことを「生ビール」とか、 略して「なま」と言います。

瓶ビールではなく、 樽から直接ジョッキやグラスに注いでもらいたいなら、

「生ビールください。」と言ってみてくださいね。

 

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原爆の日によせて

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私のふるさとが広島市であることは、このブログの読者ならすでにご存知でしょう。

広島は歴史上初めて核爆弾が投下された地として、世界でも有名な都市です。

原子爆弾が落ちたのは、65年前の8月6日。

 

私の母が結婚して神戸から広島に来たのが41年前で、

その時、賑やかで華やかな神戸に比べると、広島の町は殺伐としていると感じたそうです。

町のあちこちにバラックのような掘っ立て小屋が並び、

家をなくし家族を亡くし、行き場を失くした人たちが、まだたくさんいるのだと知って、

とても悲しい気持ちになったそうです。

 

私が子供時代を過ごした30年前も、今の広島にも、

原爆の爪痕はそんなにたくさん残されていません。

それどころか、被爆者が高齢化して、戦争を知らない世代が増え、

原爆の事を後世に伝えていくのが難しくなっています。

私も広島出身だからといって、普段は原爆のことなんて忘れているのですが、

夏に広島に帰ってくると、やはり少しでも多くの人に現実を知らせる必要があると感じました。

 

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これは、私の実家から車で5分くらいのところにある小学校です。

爆心地から9キロほど離れているこの小学校の校舎に、

原爆が落ちた後、大勢の被爆者が運び込まれました。

全身が焼けただれ、裸で、ほとんど死んでいるような大人や子供が、

まるで幽霊のように、みんな手を前に突き出してぞろぞろと歩いてくる光景を、

近所の人たちが覚えています。

彼らのほとんどが手の施しようがなく、命を落としました。

そして次々に死んでいく人を校庭で燃やしたのです。

この小学校だけでなく、各地で同じようなことが行われました。

爆心地の近くの川は、全身火傷で喉が乾き、

水を求めて来た人の死体でびっしり埋まっていたといいます。

 

私の友人のお祖父さんは、原爆が落ちた時、息子と屋根の修理をしていました。

放射能を浴びて、一瞬で体の皮が溶け、

しゃがんだ姿勢のままでふくらはぎと太ももがくっついて離れなくなりました。

手元にあった針金で溶けた足を切り剥がし、

同じような状態になっている息子にもそうして、地上に降りたそうです。

 

また別の知り合いの年配の女性の話もしましょう。

原爆が落ちた時、彼女は16歳でした。

爆発とともに室内のガラスが飛び散り、その破片が顔中に突き刺さりました。

親が必死で医者を探し、一つひとつガラスの破片を抜いてもらい、

化膿しないように薬を塗って、顔一面にガーゼを貼ってもらったのですが、

そのガーゼを毎日剥がすのが拷問のようでした。

数年たっても、顔の傷のために被爆者だということが一目瞭然で、

広島市内に暮らしていても、

みんなから「いじめ」を受け、暗い青春時代を過ごしたそうです。

 

彼女の話はとても象徴的だと思います。

原爆がいかに残酷なのか、むごい話は数えきれないほどたくさんありますが、

それだけを伝えるのでは足りないと思うのです。

原爆の後の差別や、偏見。そして無知。

海外では、原爆が落ちたから戦争が終わってよかったと考える人もいますが、

私はそれは「人間のおごり」だと思うのです。

 

戦争の悲しい出来事は、広島だけではありません。

世界中で、今も、悲惨な出来事は起きています。

ある被爆者が語った言葉が忘れられません。

「戦争はいったん始まってしまったら、止められないんよ。

だから、ぜったいに起こしてはいけないんよ。」

戦争を知らない私たちの世代は、

過去の事実を積極的に知ろうとし、

どんな状況においても平和な世界を目指さなければいけないのです。

 

 

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夏休みに広島の実家に戻ってきました。

夫は1週間ほどの休みしか取れないので、まず子供と私が新幹線で広島に来て長期滞在。

途中から夫が車で広島に来て、最後に一緒に車で帰るという方法。

これは、日本の家庭ではよくある帰省のしかたです。

 

さて、広島に着いた翌朝、懐かしい音で目が覚めました。

私の実家の前は公園で、その公園から子どもたちの声とラジオの音が聞こえてくるのです。

 

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日本では夏休みの朝6時半から20分ほど、

近所の公園や広場に住人が集まり、ラジオ体操が行われます。

誰かが持ってきたラジカセをNHKにあわせると、

毎朝生放送されているラジオ体操のピアノ伴奏が流れ、

それにあわせてみんなで体操するのです。

ラジオ体操は小学校で習うため、ほとんどの日本人が体操の振りを知っています。

定番のピアノ伴奏が流れると、自然と体が動くのです。

 

ラジオ体操の起源は、いまから80年前に考えられた国民健康体操。

当時は国民の体力をつけたり、意識を統一したりと、

軍事訓練のような意味合いも含まれていました。

時は流れ、平和な世の中になっても、日本人はラジオ体操が好きなのでしょう。

こうして夏休みに子どもたちが体操したり、

工場などでは安全と事故防止のため、毎日の朝礼でラジオ体操をするところもあります。

 

夏休みのラジオ体操は好きな人だけ集まります。

ただ、小学校では参加するように決められているため、

ほとんどの小学生が来ています。 

そして、早起きなおじいさんおばあさんも。

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私も小学生のころ、夏休みの朝は毎日ラジオ体操に行きました。

朝はまだ暑くないし、近所の友達にも会えるから、なんだか嬉しいのです。

私の子どもの頃はベビーブームで、この公園にも大勢の小学生が来ました。

でも今の日本は子どもが少なく、特にこの住宅地は老人世帯が多くなったので、

少しさみしいラジオ体操。

しかも、ラジオ体操に毎日参加するという「しばり」が「うざい」ようで、

最近は全国的に夏休みの間の1,2週間だけ行われているようです。

 

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上の写真の赤いベンチのところにラジカセが置いてあります。

毎日、体操が終わると子どもたちはカードにハンコを押してもらえます。

そのハンコを押す子どもも赤いベンチのところにいます。

子どもたちはラジオ体操の曲が終わりに近づくと、誰よりも早くハンコを押してもらおうと、

少しずつベンチのところににじり寄っていきます。

実は私が小学生の頃、30年前もこの同じ場所で、同じことを競っていました。

なぜ!?

そんな些細なことが継承されていたの!???

 

子どもって不思議。

 

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スタンプ台は日本の企業がスポンサーになって夏休み前に子どもたちに配ります。

この桜マークのハンコはッ!!!

30年前と同じじゃん。 ここは時が止まっているのか?

 

そして次の日、朝6時半に起きられなくってラジオ体操に行けないのも、

30年前の私と同じじゃん。

 

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