みなさん、ご存知だったでしょうか?
mikoが暮らす浜松の、浜とは、海のことです。
日本は島国なので、周りをぐるりと海に取り囲まれていますが、
それにしても浜松は、ずーーーーと海岸に面しています。
広い広い太平洋。
土曜日の昼下がり、思い立って、海までドライブしました。
車の中から見える風景。
このまま西へ向かえば名古屋。
反対の東へ向かえば東京。
海には、サーファーの姿が
見えます。
サーフィンのベストスポット
でもあります。
道路の反対側の景色。
こちらには、防風林の松の木が
どこまでどこまでも続きます。
「浜」と「松」で、浜松なのだー!
家を出て30分くらいで、誰もいない静かな海辺に到着。
子供たちは放流された魚のように海へかけていきます。
春の海は、誰もいません。
砂浜に自分の足あとが残るのが嬉しくなります。
この写真では静かな海に見えますが、このあたりは遊泳禁止地区で、
夏でも海水浴はできません。風が強く、波も高いのです。
その強風で、砂浜に美しい模様ができます。
たくさん貝殻が落ちています。
子供たちは、それを拾うのを
楽しみにやってきました。
貝殻は10㎝くらいで、
けっこう大きい。
100個くらい・・・あるよ。
ぜんぶ持って帰るの?
・・・ 本気ですか?
右を見ても左を見ても、海。
そして、誰もいない。
無人島にやってきたみたい。
一歳半の息子は、
波の音が怖いようで、
じわじわと
海から離れていきます。
まるで、方向を間違えて
陸に向かうカメの子のようです。
カメといえば、浜松の海辺は、ウミガメの産卵地にもなっています。
近年、ウミガメがやってくる数が減っており、保護活動も行われています。
海と町が高速道路で分断されて、昔ほど海を身近に感じなくなりました。
未来の環境を守るためにも、
子供たちにはぜひ、海の素晴らしさを肌で感じてもらいたいです。
美しい海ですね。雲をとおして海岸を照らす太陽に切なさを感じさせるとても詩情溢れる写真だと思いました。
地平線のずっとずっと先には陸地があるはずで、その浜辺からこちらを眺めている人もいるはずで、でも地球は丸いからこちらからもあちらからもお互いの姿は見えないわけで(この際視力のよしわるしは無視しましょう)、そんなふうに遠い他者を想定するばかりじゃなくて空の高さや海の深さも感じるさせるから空と海は人類にとって特別に意味ある存在なのかなと思いました。(なんか分かりにくくてごめんなさい)
一枚の写真から、感じ取ってくれてありがとう。
私はこの写真を撮りながら、世界に色が無い瞬間もあるのだな、と知りました。光の濃淡?強弱だけでした。私に写真技術があるわけでなく、実際にああいう光景だったのです。海を見に行ったというより、光を見に行ったのかもしれません。とにかく、本当に切ないくらい美しい海でした。
いやいやご謙遜を。ほんと素晴らしい写真ですよ。濃淡ねぇ。水墨画はそういう技法でわびさびを表現したものですよね。だから切ないのかな。高校生の頃聴いたのでうる覚えなのですがドビュッシーに交響詩『海』って曲があってモノトーンな感じでしたよ。彼は日本の浮世絵に影響を受けたそうですが印象派の画家とは違い何故かモノトーンの曲が多かったような気がします。一度お試しあれ。
追伸 朝まだ頭がぼんやりしたままで文章を叩いたので『水平線』とするところを『地平線』にしてしまいました。すみませんでした。
モノトーンという表現がぴったりですね。
ドビュッシーの『海』もいつか聴いてみたい。
自然界の音を、人間が作ったドレミの鍵盤で表現できるドビュッシーは、すごいと思います。絵画ならまだしも、視覚を聴覚に変換できる才能ってすごいと思いません?
ま、それをいうならミュージシャンは誰しも、自分の感情を音に変換して表現してるのか・・・。
これまた大昔に読んだ本で申し訳ないのですが山川健一さんが書いた『印象派の冒険』という本で「印象派は自分の目に忠実であろうとした絵画の運動だった」みたいなことが書いてあったと記憶しています。リアリズムを突き詰めた写実主義じゃなくて目に現れたとおりを描く。だからゴッホの『糸杉と星の見える道』にしてもモネの『睡蓮』にしても極めて人間的な薫りがします。
ドビュッシーで一番有名な『月の光』はそのタイトルとおり柔らかくふりそそぐ感じがする曲です。ちなみにこの曲は映画『オーシャンズ11』のラストのラスベガスの噴水前のシーンで流れます。とまぁこれといった結論はないのですが、書いてみました。
世の中の概念から脱するって、進化ですね。
そうやって、太古の昔から人間は少しずつ変化して、進化してきたのでしょう。全く別の見方ができる人って、尊敬します。そういう意味では、頭の柔らかい子供のすることを見ていると、ヘエーと思うことが多い。ある育児本に、「子供のすることは、危険で、人に迷惑がかかることで無い限り、大人が止めにかかってはいけない。親は、子供の少し後をついて見ててやるくらいが丁度いい。」と書いてあったのが印象に残っています。実際にそうするのはとても難しいのだけど、なるべく本人の意思を大事にしてやろうかと思っています。・・・将来、世の中の概念から脱する天才になるかな。
40年程前小学生低学年だった時分に銀行が出来た記念で写生大会がありました。何故参加したのか覚えてないのだけどおそらく母が勝手に申し込んだのかな。クレヨンで大胆に(それこそゴッホみたいに)なぐり書きした僕の作品が最優秀に選ばれてしまって。両親がえらく喜んでいたのを子供ながら覚えてます。選んでくれた人にどういう基準があったのかわかりませんが「この子は天才だ」って思ってくれたのかもしれません。しかし僕の画力はそれ以上上がらなかったのです。中学になっても子供のまんま。やはり良い絵を見なくちゃと絵画展など行ったのですがどれも写実主義ばかりだったのです。基礎もないのにそんな絵を描こうとすると余計に緊張し楽しくなく絵は酷くなるばかりでした。絵画展でもし印象派に巡り会っていたらもう少しましな絵が描けていたかもしれません。
子供を取り囲む世界は親のあずかり知らない要素をたっぷり含みながら偶然に入り込んで来るから、子育ては難しくもあり面白くもあるのかなと思いました。