先週の土曜日、浜松の北にある浜北という場所で開かれた植木市に行きました。
その様子を先週に引き続きご紹介します。
この写真は植木市の敷地内にある日本庭園です。
普通、お寺の日本庭園などは立ち入り禁止ですが、ここは何でもアリな状態。
子供が庭園の石によじ登ったり、坂道を駆け下りたりして、アスレチックと化していました!
さて、先週も書いたように私たち家族が行った日は、たまたま年に一度の植木祭りでした。
会場内ではいろんな催しが行われていましたが、その一つが「盆栽展」。
近所のオジサンたちが趣味で育てている盆栽を展示していました。
そのなかから私が個人的に素敵だなと思ったものをご紹介します。
(しかも、私の勝手な解説付きで!!)
もっともポピュラーな松の盆栽。木の幹が雨風にさらされたような、いい景色をつくっています。
小さく仕立ててありますが、ずいぶん長い年月がかかっていると思います。
古くてシブさ満点の枝に、若々しい緑色の松葉が伸びる・・・、
そのアンバランスさは、時間が経っても変わらない永遠を象徴しているようです。
こちらは、何の木かわかりませんが、背丈が30センチほどの小さな作品です。
でも、これも幹が太いことから年月が経っていると思われます。
どこかの森の奥に、こんな姿の大木があることを想像してみてください。
神様が宿っているような神秘的な気分になりませんか?
それを、超コンパクトに再現するのが盆栽の魅力です。
本来、自然や偶然が作り出す姿を、人間が手をかけて作り上げる。
それは自然に対する挑戦ですが、その作業をするあいだに、
きっと人間は自然の偉大さと自分の無力さを感じて、自然を敬う気持ちになる。
わたしは、それが盆栽の精神世界だと思います。
だから盆栽は、一人で静かに一本の木と向き合う時間そのものだと思うのです。
この木は松などの常緑樹とちがい、冬に葉が落ちる落葉樹です。
落葉樹は、葉がなくなって枝だけになった時の姿も見所の一つです。
飾りをいっさい省いた状態で、この繊細な枝振りをみてくれ!といわんばかりの
作者の気持ちが伝わってきます。確かに枝の先まで見事に作り上げられています。
こちらは木ではなく、コケの盆栽です。横幅50センチほどの石にコケを配しています。
まるで本物の山のようではありませんか?
いっけんサビれた感じ、でも内側から強い生命力が伝わってくる・・・
静かだけれどパンパンに張りつめた緊張感があります。
きっとそういうのって日本人独特の感覚だと思う。
さて、盆栽の話はこれくらいにして、
なにやら外から太鼓の音が聞こえてきました。 行ってみましょう!
この日は植木祭りということで、マーケットの中でパレードが行われていたようです。
昔の着物をきた人たちがたくさん行進しています。 ↑
近くで見ていたオバチャンに尋ねると、
浜北の植木関係者たちが神様に感謝の気持ちを込めてお参りするのだとか。
この椿の木を神社に奉納するのだそうです。 ↓
こちらは、神社の神主さん(男性)と巫女さん(女性)。 ↑
パレードの楽団。 ↓
浜松は特にお祭り好きの人が多く、何かというとこういう楽団が太鼓をならします。
私の実家のある広島には、たぶん、こんなの、ない。
このような着物を着た子供たちは「稚児(ちご)」と呼ばれ、昔からあります。
極彩色の衣装をきて、顔に独特の化粧をするのが慣わし。
今回の稚児さんは薄化粧ですが、化粧には魔よけの意味があります。
どの子も可愛かった!
こんにちはMikoさん!
彼の腰部に新しい種類が編み出します。
自然の可愛気は真似たい。
人命の目盛りに本然風景のシーン、崇敬あります。
フランスなか盆栽の倶楽部と活動的盆栽あります。
http://bdbonsai.free.fr/
http://www.ffb-bonsai.org/
絶対に華麗な展示!
それではまた。ジャン・リュック
(沢山のひさびさに読む !!!)
ジャン・リュックさん
おはようございます。
フランスの盆栽のサイトを見ました。
ありがとう。
あなたの言葉→「人命の目盛りに本然風景のシーン、崇敬あります。」←私も本当にそう思います。
あなたは私の言いたい事をわかってくれます。
とてもうれしいです!! またね。
Mikoさん、こんにちは !
盆栽に集中して日本哲学
小さなスペースで、世界
静寂と思索...
離れた日本から、日本語の精神を閉じる!
美しい写真 、ありがとう ! またね
Dominiqueさん
おはようございます。
私はあなたの美しい庭が好きです。
とても日本的で、静かな庭ですね。
私の庭はまだ未完成です。
いつか、あなたに紹介したいです。
またね! miko